国宝・彦根城の歴史と見どころ


滋賀県の国宝・彦根城。春になると彦根城の周りに桜が咲き誇るのをご存知ですか?この時期、彦根城周辺ではお花見客で賑わい、春の訪れを感じさせてくれます。

今回は桜もきれいな、国宝・彦根城について歴史と見どころをご紹介します。 国宝・彦根城の歴史と見どころ

国宝・彦根城の歴史

滋賀県に位置する彦根城は、将軍徳川家康公の命により、佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604年)より着工されました。当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。

天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築され、天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。この間、井伊直孝は大阪冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大成をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。

直孝は、秀忠、家光、家網の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献しました。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となります。「石」は1年間の米の生産高を表す単位で、1石約30万円です。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。

彦根城は、明治に解体の危機にみまわれました。しかし、今も往時の面影が今日によく残っているのは、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。一説には、随行した参議大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に奉上したとする説、また一説には、天皇が近江町長沢の福田寺で小休止されたとき、住持攝専(せっせん)夫人で、天皇の従妹(いとこ)にあたるかね子が奉上したとも言われています。

近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守は国宝です。彦根城は平成8年には築城以来5回目の大改修が完了。天守の35種類約6万枚にも及ぶ屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが中心に行われ、現代に美しく蘇っています。また、彦根城の周囲は特別史跡に指定されています。

彦根城の見どころ

彦根城の見どころをご紹介します。

①国宝彦根城天守付櫓(つけやぐら)及び多門櫓(たもんやぐら)

関ケ原合戦の前哨戦で耐え抜いた大津城から移築されたといわれ、慶長12年頃に完成しました。政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の機能である軍事面でも優れています。昭和27年に国宝に指定されました。彦根城以外の国宝天守は姫路・松本・犬山・松江だけです。

②国重要文化財 彦根城西の丸三重櫓(さんじゅうやぐら)及び続櫓(つづきやぐら)

西の丸の西に建つ櫓で、さらに西に張り出した出曲輪との間に深い堀切が設けられています。西方の裏手からの敵に備えた守りの要でした。

③国重要文化財 彦根城太鼓門及び続櫓

天守がある本丸表口をかためる櫓門で、場内合図の太鼓を置いたところから名付けられたと言われています。建物の背面が開放され、高欄付きの廊下となっており、櫓では大変稀な構造となっています。

④国重要文化財 彦根城天秤櫓

大手門と表門からの両坂道を登りつめたところにあります。廊下橋(戦時には落とすと伝わる)に接続する櫓門部分を中心に、両坂道に面している多聞櫓の角を二重櫓とすることで、左右対象となって天秤櫓の名の由来となっています。

⑤国名勝 玄宮楽々園(玄宮園)

玄宮園は下屋敷である槻御殿(現楽々園)に伴う後園として江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園です。

参考: 国宝彦根城

<まとめ>

いかがでしたか?彦根城は滋賀県にある国宝であり、その壮大な姿は歴史の息吹を感じさせます。春になると彦根城を中心に約1,100本の桜が花開き、多くの花見客で賑わいます。期間中はお堀沿いの桜のライトアップも行われます。この機会に彦根城の歴史を探索しに訪れてみてはいかがでしょうか?

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