2021年NHK大河紀行にも登場。滋賀県に残る、東海道・中山道の宿場町


江戸時代、江戸と全国を結ぶ街道が整備されました。中でも、京都へ続く東海道や中山道は、たくさんの人々が往来。江戸から京都まで向かうには徒歩で半月もかかるため、街道には茶店や宿場町が点在し、大きな賑わいを見せていました。東海道、中山道両ルートが通る滋賀県にも、皇女和宮が14代将軍徳川家茂にお輿入れする際に昼食をとったとされる「草津宿」をはじめ多くの宿場町があり、今もその面影を色濃く残しています。今回は、そんな当時の賑わいを垣間見ることができる滋賀県の宿場町をご紹介します。

東海道の宿場町

 ■草津宿

東海道五十三次の52番目の宿場町。東海道と中山道が合流する宿場町として大いに栄え、皇女和宮お輿入れの際には、本陣の大規模改修が行われました。3000人ともいわれる一行が通り過ぎるまでに、4日を要したと伝えられています。当時の様子は、草津宿本陣や草津宿街道交流館で知ることができます。

 ■大津宿

東海道五十三次53番目の宿場町。琵琶湖で獲れた海産物などが集まる港町でもあったため、東海道の中でも一番大きな宿場町に発展しました。江戸時代初期から名産として販売されていた「大津絵」は、当時、旅の土産物や護符として大変人気があり、全国各地に広まったといわれています。本陣などは現存していませんが、石碑や民家に宿場町の名残を見ることができます。

中山道の宿場町

 ■武佐宿

現在の近江八幡市に位置した、中山道66番目の宿場町。近江商人発祥の地としても知られ、23軒もの旅籠が軒を連ねていました。伊勢に向かう八風街道への追分けでもあったことから、海産物や塩、紙、布などさまざまな物産が往来し、市が立つほどの盛況ぶりだったそうです。現在も、本陣跡や脇本陣跡など、旧跡を辿りながら当時を偲ぶことができます。

 ■醒井宿

中山道61番目の宿場町。今も、当時の面影が色濃く残る町並みが続いており、地名の由来となった「醒井の清水」を源流とした地蔵川に咲く水中花「梅花藻(バイガモ)」は、夏の風物詩となっています。醤油蔵や割烹、お茶屋など、ちょっと一息つきながら、ゆっくりと町歩きができる店も点在し、当時大名が利用していた施設なども保存・復元されています。

<まとめ>

いかがでしたか?今では考えられないような時間をかけて、江戸と京都を行き来した旅人たち。通常、13~15日程度の旅程だったようですが、そうなると1日に33㎞も歩く計算に!しかも、飛脚はわずか3~4日で走り抜けたのだそうで、本当に驚きです。今は、静かな町並みでも、歴史を辿り紐解けば、その地でたくさんの人々が生き生きと暮らし、賑わい、何かが生まれそして消えていった壮大な歴史ロマンが見えてきます。今に伝わる名産や土産物に出会えるかもしれません。みなさんもぜひ、滋賀県に残る宿場町をじっくり歩いて、往事の姿に想いを馳せてみてくださいね。